こんにちは、田舎暮らしです。今回は昔と今の価値観として「父が生きた時代 子が生きた時代」とのテーマで、父がよく話してくれた事を書きたいと思います。
1.父の時代
2.子の時代
3.選択の自由と幸せ
1. 私の父は70代で田舎出身、東京で会社員時代を送り、今は故郷に戻って”毎日SUNDAY”を満喫しています。そんな父がよく昔の生活様式や風景、価値観、現在はあって昔にはなかった事を話してくれます。父の子供時代は道路も砂利道で、車は一日に1台しか通らず、自転車1台がやっと所有できるかどうかの生活でした。叔父は駅まで5キロ程の距離を毎朝下駄を履いて歩き、町場まで通勤していたそうです。海がないため魚介類も滅多に食べることはなく、ご馳走といえば年数回、飼っている鶏を自分たちで絞めて処理し、食べることだったそうです。子供ながらに肉のタンパク質を求めたそうです。農家ですので食べるには困らなかったそうですが、当然おやつなどは無く、たまに来る紙芝居屋さんから買う水飴が楽しみだったと。遊びといえば、めんこ、木材を削って何か作ったり、川に仕掛けを作って魚を獲ったり。友達と自然しかありません。当時は皆んな貧乏だったと。そんな子供時代を過ごした父も高校を卒業して就職。(当時は半分くらいしか高校に通わなかったそうです)東京に転勤し、会社員時代を生きました。高度成長、バブル、高層ビル群、住んでいる社宅団地は暖かく、電気がありテレビ、水洗トイレ、ガス風呂、週末は死ぬまでに買えたらいいなと思ったマイカーに乗り、子供時代には見た事もない海に行き、釣りをする。生きるための生活ではなく、楽しむために生きる生活。さぞ豊かさを実感していたことでしょう。
2. 子(私)の時代は、現在と何かが大きく変わったということはなく。昔からあるものが、より便利に、早く、快適に、お得に、なったくらいでしょうか?情報の取得スピードは大きな変化だと思いますが。これ以上発展するとしたら、宇宙に行ったりできたらいいなと。最初から何もかも揃っており、便利が当たり前、情報を得るのが当たり前。人間同士が合わなくとも繋がる手段が沢山あり、モノよりも情報に価値が存在してきている気がします。蛇口を捻れば飲み水が出て、ボタンを押せばお風呂が沸き、ネットで注文すれば食べ物、服、日用品が届き。好きな物が食べられ、(アレルギーある人にはすみません。意図はありません)温かい布団があり、様々なことに対して自由に発言行動できる時代です。父の時代と比べたら最初から夢が叶っているようなものですね。
3. そんな父と子の時代ですが、どちらが幸福を感じていたでしょうか?きっと父の時代の方が世の中が成長し、便利になっていく過程を楽しめていたのではないでしょうか?選びようのない皆んな貧乏な時代。鶏肉、水飴を楽しみにしていた時代。死ぬまでに自分の車を持ちたいと思った時代。そしてそれが叶った時代。 ものが無かった時代を生きた父は今、何を手にするにも嬉しそうです。価値あるものが適正な価格で、しかも生まれ育った地元の田舎の店舗で手に入るのですから。現代は何事にも情報や選択肢が多く、それに幸福を感じる事もあるでしょう。他方では迷いが生じ、後悔、嫉妬、混乱などのネガティブな面が浮き彫りになってはいないでしょうか?豊かな時代なのに何かが足りない。ここでも自分にとって何が重要でどう生きたいのか。他人との比較ではなく、自身の価値観を持ち幸せに生きたいものです。